遊び尽くすのは野暮?

さて、GWも終わってしまいました。

「ふふっ、私は7日8日も休みを取っているのさ」という、
なんとも羨ましい方は別として、私を含め多くの方々が
例の「日常」に戻っていくことになります。

「また仕事か〜。かったり〜な〜」などと、
お嘆きの方は多いことと思います。
まして6月は国民の祝日がありません。
次に長い休みが取れるのは、お盆休み…あと3ヶ月も先のことです。
こんなことなら、連休中にもっと遊んでおきゃよかった…などと、
後悔の念も湧き起こるかもしれませんね。

でも遊びというものは、満足するまで遊び尽くすのは「野暮」なんだそうです。
これ、私の親父がよく言っていました。

私の親父は絵に描いたような昭和の頑固職人です。
仕事にうるさい分、口もうるさく、周囲のひんしゅくも買っていたようですが、
それでも腕は立つので、誰も文句を言えなかったようです。

で、若い頃には修行とともに遊びにも精を出していたようで、
その方面では「こなれた」親父だったのです。

私は十八十九の頃から、よく親父に飲みに連れて行ってもらいました。
一軒だけで終わることもあれば、二軒、三軒と回ることもあったのですが、
長っ尻になることはほとんどなく、いつも「もう少し」「あと一杯」というあたりで
サッと勘定をして、店をあとにするのです。

親父に追い出されるようにして店を出ると、
外は静かな夜の街で、いかにも寒々としています。
そうなると急に、ついさっきまでの賑やかな店の空気が懐かしく感じます。

「親父ぃ、もう少し居たかったなぁ」と私が不平を漏らすと、
親父は待ってましたとばかりに答えたものです。
「遊びってのはな、遊び尽くしちゃあ駄目なんだ」

どんな遊びも、堪能しきるまで楽しんでしまうと、飽きてしまう。
飽きてしまうと「もういいや」と思う。つまらなくなる。これは野暮だ。
だから「もうちょっと」「あと少し」というところでやめにする。
未練が残るところで、帰る。
そうすると「また遊びに行きたいなぁ」と思う。
「また行きてぇな、と思いながら遊びにいったほうが、面白れぇだろう?」

もう数十年も前のことですが、親父のこの話は今も深く残っていて、
私の行動規範のようになっています。
亡くなってすでに15年になりますが、やはり大した親父だったなぁと今も思っています。

何やら、親父自慢になってしまったような……失礼しました。
元気な方は次の休暇を楽しみに、
また少々やばい…という方はくれぐれも無理をしないよう、
それぞれの「日常」へと再び漕ぎ出していきましょう。

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