悲しみは癒えるのか

前記事で「声を出す」ことの効能についてお話ししました。
これは我流の考え方ではありますが、意外と当を得ているのではないかと思っています。

実際、ストレスというのはその多くが「怒り」の感情ですし、
それは爆発的なエネルギーを内在させています。
本来ならば、「バッキヤロォォォォォーーー!!!!」と発散されるべき感情のエネルギーが
大人の事情やら世間体やらつまらない常識やら世渡りの知恵やらのために、
心の中に封印されてしまうわけです。

これは、火を点けたネズミ花火をパンツの中に放り込むようなもので、
危険極まりない行為にほかなりません。
抑え込んだストレスは間違いなくあなたの心の重荷となり、
あなた自身を傷つけていき、やがては心の異状となって現れるまでになるのです。

ですから、ストレスはその都度、発散するのが良いのです。
私自身は「カラオケボックスで大声で叫ぶ」のが手軽だし効果的だと考えますが、
「誰かに愚痴るだけでラクになる」というのなら、それでも良いでしょう。
ある知り合いの女性は管理職なんですがボクササイズをやっていて、
ストレスが溜まるとジムに行き、サンドバッグをボコってスッキリするそうです。
「気に入らない上司や客の顔をイメージしながらブン殴るの。気持ちイイわよぉ♪」

……あまり、その場面を想像したくはないですね。

***********************************

さて、感情がからむストレスというと、「怒り」とともに大きなものが「悲しみ」です。
失敗、逸失、挫折……ストレスとなる悲しみを感じるきっかけは数ありますが、
やはり失恋や離婚といった離別、ことに死別というのはいかんともしがたいものです。
残された人々の深い傷は、簡単に癒えるものではありませんし、
心の結びつきが深い相手であればこそ、失ったときの悲しみは大きいものです。

ですから誰にでも通用するものかどうかは判りませんが、
私の場合は……やはり「声を出すこと」で乗り切れたように思います。

私は若い時分からバイクを乗り回していまして、仲間も多くいました。
ですが時には不幸な事故も起こりますし、最悪の結果に向き合うこともあります。
そんなとき、私はいつも声を上げて大泣きしてきました。
さすがに人前では憚られますので、誰もいない河川敷とか山の中とか海辺とか、
そういうところまでバイクを飛ばしていって、思う存分泣くのです。

親父が亡くなったときも、そうでした。
実家の屋上に大の字に寝そべって、一人で泣きました。
それこそ、涙が出なくなるまで泣いたものです。

果たしてそれで心の傷が癒えたのかどうかは判りません。
親父のことについていえば、今も思い出して涙することがあります。
ですが、思う存分泣くことで、親父の死を受け入れることはできたと思います。

昨日までそこに存在していた大切なものが、もう今日はいない。
世界中探しても、どこにもいない。二度とここに帰ってくることもない。
それはとても悲しく、辛いことです。
ですがかけがえのないものだからこそ、他のものに代えることができません。
ならば「大切なものを失った」ということを、受け入れるほかないのです。
人はそのために、腹の底から思う存分、泣くのでしょう。

……なにやら今日は、湿っぽい話になってしまいました。
まぁ、こんな時もあります。

ごめんなさい!コピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました