自分に気づくことが完治への道

三ヶ月ほど前のことですが、
医療系の仕事でドクターにみっちり取材する機会があったのです。
いろいろな話を聞く中で、病気を防ぐ、治すためには
「自分に気づく」ことが大事だという話が出ました。

自分の体に不具合はないのか。あるとすれば、どんな種類の、どの程度の不具合か。
今すぐ処置が必要なのか。それとも様子見で良いレベルなのか。
何か処置をするとなると、何をすれば良いか。
それは家庭で、自分でできることなのか。医療機関の助けが必要か。
こういうことに気づいておかないと、その先の行動が伴わない。
「だからどんな病気でも、まずは患者さん自身が『自分に気づく』ことが大事です」
…と、そんな話でした。

この方は内科のドクターだったんですが、この話には感銘を受けました。
というのも、私がうつを克服する大きなきっかけになったのが、
まさに「自分に気づく」というプロセスだったからです。

これは本にも書いたことなのですが、あらためて書いておきましょう。

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その頃の私はうつの診断を受けて2年半ぐらいだったでしょうか。
時期は定かではありませんが、まぁ投薬治療の効果もあり、
うつの症状は落ち着いている頃でした。
そのかわりアルコールにどっぷり依存している頃でしたが…。
そんな折、女房と娘と三人で、静岡県・熱海市から船で20分ほどの、
「初島」という小さな離れ小島に、二泊くらいの小旅行に行ったのです。

初島はそこそこに開発された環境で、決して「至れり尽くせりの観光地化」されていません。
なので昼間は周囲を散策したり昼寝をしたり釣りをしたりしてダラダラと過ごします。
夜は海岸近くに立てられた露天風呂にのんびりと浸かります。

その時は時間が遅かったこともあって、露天風呂には私ひとり。
完全な貸し切り状態で、大きな湯船にゆったりと体を沈めて
海上に浮かぶきれいな月を眺めながら、ただ波の音を聞いていたんです。

そのときに、なぜか思ったのです。
いま、俺は月を見上げて波の音を聞いている。
でもここに俺がいようがいるまいが、月は出て波は絶え間なく打ち寄せる。
…自然のままに、月も波も、あるがままに居続けるのです。

ここに露天風呂ができる前から、月と波の営みは続いていただろう。
もっと昔は、罪人たちが故郷を想いつつ、月を見上げて波を聞いていただろう。
(初島はその昔、流刑地として使われていたそうです)

もっともっと昔…まだ人間なんぞがいなかった頃はどうだっただろう。
もしかしたら渡り鳥たちが木陰で翼を休めながら、
月明かりの下で、あの波音を聞いていたかもしれない。

そんなことを考えているうちに、自分の小ささに気づいたのです。
自然の営みに比べたら、俺の存在、俺の悩みなんて小さいものだ。
なんて小さなことで、俺はぐずぐずと思い悩んでいるんだろう…。

こんなふうに考えを巡らしたあげく、
「馬鹿馬鹿しい。もうやめよう、こんな生き方は」
そう思うことができたのです。
それは、何と言うか、自分の中で何かが「開いた」感覚でした。
今まで固く閉ざされていたもの、また閉ざされていることにさえ
気づいていなかった何かが、開かれたような気がしました。
そして何の根拠もなかったのですが「これで治る、元通りになれる」
感じていました。

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その形は人それぞれではありますが、
「気づく」というプロセスはやはり大事だと思います。
それなくして治癒なし…とは思いませんが、
やはり回復への大きな原動力になるのは確かでしょう。
私は偶然にそれを体験しましたが、さらに一歩踏み込んで
意識的に「気付き」を体験しようとするなら、
前記事でもご紹介した「思い込みからの解放」でご紹介した方法を
試してみてはいかがかと思います。

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