依存症とは何なのか

うつと並んでよく判らないのが、依存症というものです。
私自身、書籍やブログのタイトルに使用しておきながら、
依存症というものについては、あまりよく理解できていません。
というより「俺は本当に依存症だったのだろうか」という
基本的な疑問すら、今の私は感じているのです。

ひとつには、私は自分の依存症状について、
医師から明確な診断を受けたわけではないということがあります。
アルコール依存にしろギャンブル依存にしろ、
自分自身で「これはかなり、依存状態になっちまってるなぁ」と感じてはいたものの、
今から思えばそれが依存症と呼べるほどのものだったのかという疑問が残ります。

またこれらの依存症状も、うつから解放されるのとほぼ同時期に
薄紙を剥がすように解決していったものですから
(アルコール依存については、ちょっとした事件がありましたが)、
なおのこと、自分自身の当時の状態を「依存症」と呼んで良いものかどうか、
心もとなく思ったりもするのです。

…とはいえ、当時の私は缶ビールを毎日6リットル(これが最低量です)、
ギャンブルのほうは毎日「万単位」で注ぎ込むというハマりようでしたから、
医師の診断があろうがなかろうが、明らかに正常な状態とはいえませんでした。

そして医師の診断の有無に関わらず、当時の自分が異常だったなと感じるのは、
酒にしろギャンブルにしろ、それが少しも「楽しくなかった」ということです。
うまいから酒を飲んでいたわけではなく、ギャンブルにしても
決して「よぉし、今日は勝ってやるぞぉ!」などという考えは、これっぽっちもなかったのです。
そこに感情の盛り上がりはまったくなく、ただ惰性があるばかりでした。
「バクチ好きの大酒飲み」と「アルコール&ギャンブル依存者」の境界線は、
実はこんなところにあるのではないかと思ったりもするのです。

私が酒に走ったのは、うつの診断を受けてしばらくしてからのことです。
薄暗い部屋のソファで泥のように横になっていたとき、デスクの上の酒瓶が目に入り、
ひとくち飲んでみたところから始まりました。
「とりあえず酒に酔ってしまえば、憂うつな気分を忘れられる
それが、私が酒に溺れた最大にして唯一の理由でした。
旨いから飲んでいたわけでは決してありません。
飲んでいたって、ちっとも楽しくなんかないのです。
むしろ常に酒が抜けませんから、体はボロボロになるばかりでした。

ギャンブルも同様です。
私はパチンコとスロットでしたが、別に楽しいから打っているわけではありません。
打っている間は他のことを考えなくて済む。それだけです。
勝ったといってニコニコし、負けたといってションボリするなどという、
そんな感情はほとんどなく、ただ「うつを忘れるため」だけに、打っていたのです。

「○○依存」というものは多々あると思いますが、みな似たようなものなのでしょうか。
その行為が「楽しいから」というよりも、その行為を行うことで
「別のメリットがある」「イヤなことを忘れられる」というような、
そんな心のメカニズムが依存症を呼び寄せるのでしょうか。
まぁ薬物依存はまた別の理由があるとは思うのですが、
世の中に幾多あるであろう「依存症」というものたちは、
程度の差こそあれ、そうした共通項を持っているようにも思えます。

趣味や遊び、嗜好品…。
さして面白いとも思えないのに、なぜかやめようとしてもやめられない…。
もしかしたらそれば、依存症へと続く道なのかもしれません。

……と、そこまで言うのは極端というものでしょうか。

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