ダラ〜ッと過ごす一日

珍しく…というわけでもないのですが、
今日はブログに書き記すようなネタもなく、一日が終わりそうです。
私を含めて、ごくごく平凡な毎日を送っている多くの方々にとっては
いつものような一日を過ごし、いつものように一日を終える…というところです。

十代の頃は、こういう一日が大嫌いでした。
「ぼんやりと時間を過ごす」「なんとなく一日を終える」
こういうのが大嫌いだったのです。
一日24時間を、まったくの無駄にしてしまうような気がして、
我慢できませんでした。

それだものだから、とにかく毎日、何かをやっていました。
当時はバンド活動をしていましたので、
暇さえあれば詩を書いたり曲を作ったり、
あるいはギターの練習をしてみたり。
とにかく「ボ〜ッとして過ごす」ということは、まったくありませんでした。
そうすることが、すごく「非生産的」に思えて(まぁ、それはその通りなのですが)、
それをひどく嫌っていたのです。

ところが歳をとって立派なオッサンとなった今では、ずいぶんと変わりました。
さして仕事が忙しくなければ、むしろ「ボ〜ッとして過ごす」ことは多いです。
そしてそれを、悪いことだとは思っていません

何もせずに過ごす時間、なんとなく消費してしまった一日。
無駄といえば無駄かもしれませんが、とりたてて悪いことではないでしょう。
そういう時間も必要だ…とまでは言いませんが、
だからといって「あってはならない」とも思いません。
そんなところにまで目くじらたてて、ガミガミ言うのが野暮だろうと思うのです。
そこまで効率化やら何やらの言葉を持ち込まなくてもいいじゃねーか、と思うのです。

今は亡き作家・北杜夫さんの、何かのエッセイの中に、
どこかの文豪だか学者だかの言葉が記されていました。
うろ覚えなので正確には判りませんが、こんなような一文です。

”「私は今日一日を無為に過ごしてしまった」
 「彼は何もせずに、その日を終えてしまった」
 私たちはしばしば、そんな言葉を口にする。
 …何だというのだ。
 あなたは「生きた」のではなかったか。”

どんな一日であったにせよ、「無為な一日」などありません
あなたが過ごした時間は、間違いなくあなたの糧となり、力となっているはずです。
それを思うと、私が何となく過ごした今日一日にも、何かの意味があるのでしょう。

…というより、この一日を糧として新たな一日を生きるべし!
というのが正解なのかもしれません。

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