さあて、またまた退屈な話の始まり始まり…と、いきなり自虐するのもどうかと思いますが
またまたストレスについて、それも前回二回と同じような内容の話です。
まぁ退屈な話というのは話してる本人──この場合「書いてる本人」ですが──も愉快ではなく
けっこう嫌々ながら話していたりするものです。
まったくめんどくせーな、と聞いてる方々よりも喋ってる本人のほうが、
嫌気が差してたりするものなのです。
とはいうものの。
話せば長いことながら、話さなければ解らない。
それを言っちゃあおしめえよ…な感じではありますが、
ストレスの話、第三回。退屈な話の始まりです。
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何がストレスになるかは、人によって違う。
また、その「程度」にもよる。
こんな話をこれまでしてきました。
で、話はここからさらに巻き戻すことになります。
この話題の最初に、「ストレスは葛藤や懊悩の結果生まれるもの」ということを、
私はサラッと書きました。葛藤があり悩みがあって、その結果ストレスが生まれるのです。
葛藤とは心の中で起こる反目です。
自分の欲求と現実とがうまくかみ合わない状況です。
「こうしたい、でもできない」
「こうしたくない、でもせざるを得ない」
自分が望んでいる状態が理想としてあるにも関わらず、
現実にはそれが実現できない。あるいは、逆の方向に向かってしまう。向かわざるを得ない。
そうした状態、状況が、ストレスを生み出します。
つまりストレスとは、自分の嗜好や欲求という「内的要因」と、
それを許さない回りの環境などの「外的要因」との
ミスマッチ、あるいは衝突によって生まれるものなのです。
自分の嗜好や欲求と周囲の環境がうまくマッチすれば、ストレスは起こりません。
たとえば、第一回目に例として挙げた「仕事漬けの毎日」の話です。
仕事が好きで、それに没頭する時間が幸福である人にとっては、
仕事漬けの毎日は願ったり叶ったり。
自分の欲求と周囲の環境がぴったりとマッチした状態ですから、
そこにストレスなど起こるはずがありません。
こうした人にとっては、むしろ「仕事を離れて、何もせずに過ごす休暇」のほうが、
はるかにストレスになります。
企業戦士としてバリバリやってきたビジネスマンが
定年退職と同時に認知症になったりうつを発症したりという話はよく聞きますが
まさにこうした理由によるものなのではないでしょうか。
これまでの話を踏まえて言うとすれば、つまりストレスというものは
自分の欲求という内的要因と周囲の環境という外的要因、
この二つがどれほどマッチングできているか、あるいはいないかによって
発生するものだ…と言えるのではないでしょうか。
…と、何の専門知識もないオッサンが偉そうに言っていますが、
このあたり、ぜひ専門の学者さんなりお医者さんなりの意見を
いただきたいところではあります。
もしも読者の方の中にその方面の専門家がおられたら、
ぜひご意見をお聞かせいただきたいと思います。