ここ数日、流れに任せてダラダラと記事を書き綴っております。
まぁ、どこに行き着くのかてんで判らないままに、
筏に揺られて流れていくのも、また楽しいものでございます。
…そうやって人生を楽しみすぎたもんで、
立派な中年といわれる歳になって、けっこうアタフタしているのですがね……。
「将来設計」とか「ライフプラン」なんて言葉は、私にとって火星人の言語くらいに感じます。
それはさておき、前記事の続きです。
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怒りの感情を過剰なまでに嫌っていた私ですが、
それこそがうつを引き起こす大きな「下地」になっていたことに、回復してから気付きました。
そのため今では、怒りの感情に対しても怯んだり嫌悪したりすることなく、
ごく自然に向き合うことができるようになりました。
世知辛い世の中では、むかっ腹を立てるシーンは数多くあります。
もちろん、その都度怒りを爆発させていたのでは、身も心も保ちませんし、周りの人も迷惑です。
ですから考え無しに怒りを発散することはありません。
ですが怒りは怒りとして、認識するようにしたのです。
それまでの私は怒りの感情を恐れるあまり、「怒りを感じずに済む言い訳」を、常に探していたのです。
これは前記事にも書いた通りです。
誰かに裏切られる→→→バッキャローふざけんな、となるところを、
「いやいや、彼にはやんごとない事情があったのだろうから」などと、
もっともらしい理屈を付けて、怒りを感じないようにしてしまうのです。
ですが「喜怒哀楽」という言葉があるように、怒りは人間の自然な感情です。
それ自体が良い悪いというものではないはずです。
それに、無理やり抑えつけたり目を背けたりするのも不自然なことです。
そんなことをしていたら、感情の歪みが別のどこかに表れても不思議ではありません。
うつを克服した私は、自分の心に湧き起こる怒りというものに、
ことさらに目を向けるようになりました。
何しろ今まで、ほとんど無意識のうちに怒りを避けていたのです。
ですからよくよく注意して、心の中に「怒りの感情」が芽生えたら、
抑えつけたり投げ捨てたり蓋をしたり別の何かで覆い隠したりせず、
そのまま向き合ってみることにしたのです。
その結果わかったことは、「俺って、意外と怒りっぽいんだな」ということ。
そして「怒りの感情は、思っていたほど危険なものではない」ということでした。
怒りは、火山の地下深くを流れるマグマのようなものです。
膨大なエネルギーを持ってはいますが、
きちんと向き合い、対処すれば、決して危険なものではありません。
無理に抑えつけるから、そのパワーが鬱積し、別の思わぬところから噴出するのです。
その都度、ちゃんとガス抜きをしてやれば、決して悪さをしないのです。
そんなこんなで、今の私は一日に何度か怒り、そのたびに「チッ」と小さく舌打ちし、
それでも日々を楽しく平穏に過ごせています。