うつは心の生活習慣病-04

いやもう、このところずいぶん更新をサボってしまいました。
別に風邪引いて寝こんでいたわけではなく、
優雅に旅行なんぞに行っていたわけでもなく、
単純に忙しかった…という、それだけです。

出版・広告の業界ではもう年末に向けてダッシュが始まっていますから
私のようなおっさんライターにも、仕事がこぼれてきたりします。
これからますます忙しくなりそうな気配ではありますが。。。
まぁ、稼げるうちに稼いでおきませんとね、私らフリーランスは。
自分のボーナスは自分で稼げ!ってところであります。

そんなわけでしばし中断していた話の続きでございます。

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前回お話しした「無意識のうちに身についている生活習慣」。
おそらく心理学とかの世界では、専用の術語があるのかもしれません。
ご存じの方がおられたら、教えてください。
で、この無意識の生活習慣というのは身体的な領域だけでなく、
精神活動の領域にも存在していて、
それは実は毎日を便利に、楽に過ごしていくための
心身の機能なのだろうと私は考えています。

だいたい、おはようからおやすみまでのすべての動作を
いちいち考えながら行っていたのでは、それこそ脳がパンクしてしまいます。
そのため前回お話しした「駅までの道のり」とか「自動改札の通り方」などは、
一連の動作として記憶しておき、いちいち意識しなくても行動できるように
習慣づけられている、というわけです。

まぁ確かに、箸の持ち方から考え考え行動していたのでは、
昼飯をクリアするのにも何十分かかることか、知れたものではありません。
おかげで私たちは牛丼アタマ大盛りをかき込みつつ、
午後の会議をどう進めようかとか、
営業出たふりしてこのままパチ屋に突撃しようかとか、
だったらどこのホールにするべぇかとか、
いろいろなことを同時進行で考えられるわけです。

とても効率的ですね。

で、これと同じ仕組みが精神活動の領域にも用意されていて、
外部からの刺激を「どのように捉え」、「どのように検討し」、「どのように判断するか」という、
一連の精神活動がある程度パターン化されている…というのが私の考えです。

こうした、テンプレート化された思考パターンがあると、
外部からの刺激に対してイチから考え、検討しなくてもすぐに結論にたどりつきます。
そしてそれはたいていの場合、じっくり考えた場合の結論と大差ありません。
というか、当初は外部からの刺激に対して毎度のごとく一生懸命考え、
自分なりに知恵を絞って答えを出していたものが、
だんだんテンプレート化してきて、いくつかのパターンに収束していった結果なのでしょう。

平たい言い方をすると、その人なりの
「考え方のクセ」「判断の根拠」というところでしょうか。
これが「心の生活習慣」というわけです。

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