自転車は歩道を走るな。車道を走れ。
こんなルールが道交法で定められたのは、もうしばらく前のことです。
自転車と歩行者の事故が止まらず、死亡事故まで起こったために
このルールができたと記憶してますが、どうでしたかね。
そのせいか、街を歩いていても車道を走る自転車の姿をよく見かけます。
けっこう広い道路だと車の流れも早いのですが、
それを気にするふうもなく、車道のチャリはよろよろと走ります。
路上駐車の車を避けたりしながら走る姿は、見ている方がヒヤヒヤします。
もしも車と接触でもしようものなら、重大事故一直線です。
ドライバーも気が気じゃないでしょう。
たとえそれがルールであるにせよ、命を的にして車道を走るくらいなら、
ルールを無視して歩道をのんびりと走ったほうが百倍マシだと思うのですが、
当のチャリダーは気にも留めずにペダルを漕ぎ続けます。
さて、それとは微妙に事情は異なりますが、
ルールを過剰に信奉する人…具体的には、
心の中に「〜せねばならない」「〜してはいけない」が多い人は、
うつになりやすいと私は考えています。
このタイプの人は概してルールを尊重するあまり、
そのために自分の欲求や願望に蓋をしがちだからです。
昨日の記事の続き…というか補足なのですが、
人の行動はまず何よりも、その人自身の欲求や願望が基礎となります。
「家族を幸福にしたい」
「たくさん金を稼いで、生活に余裕を生みたい」
「一戸建ての立派な家に住みたい」
「仕事なんかせずにラクに暮らしたい」
「朝からビール飲んでパチンコ打って遊んでいたい」
「できれば、若くてキレイなおねえさんと」
以下略ですが、まぁそうした欲求が根底にあるわけです。
ですがそうした欲求や願望のうちのいくつかは
周囲の人たちや社会との軋轢を生みます。
そりゃ、自分一人で好き勝手していれば、社会生活は成り立ちません。
当然のことです。
ですから、数々の魅惑の欲求(妄想ともいいます)を意識しながらも、
「しょーがない」と、現実との折り合いをつけていくことになります。
「せねばならない」タイプの人は、ここのところの順序が逆か、
あるいは無意識のうちに自分の欲求を抑えつけているのではないかと思うのです。
というより、うつ絶好調の頃の私が、まさにそうでした。
当時の私は、心の中にいろいろな欲求を抱えていたのです。
「家族との時間がほしい」
「この会社を出ていきたい」
「上司が嫌いだ。顔を合わせたくない」
「何も考えずにゆっくり眠りたい」
「元気になりたい」
これらの願望に気づいたのは、私がうつを克服した後でした。
うつを抜け出した後で過去の自分を振り返ってみたとき、
ようやく気づいたことなのです。
うつにやられていた時の私は、
「それはやってはいけない」「いま、努力せねばならない」
「逃げることは悪いことだ」などの思い込みに支配され、
心の中の欲求を無意識のうちに蓋をしていたのです。
蓋をされた欲求は、そのまま無意識の底…納骨堂のような暗闇に置き去りにされ、
意識することもできなかったのです。
あなたは大丈夫でしょうか?
心配な方は、一度…と言わず二度三度、自分と向き合ってみるといいと思います。
見栄やプライドや建前を脱ぎ捨てて、本音の自分に問いかけてみると、
普段は気付きもしなかった(あるいは気づかないふりをしていた)
自分の姿が見えてくるかもしれません。
そのあなた自身の声に耳を傾け、その願いをくみとってください。
自分に正直に生きるということは、おそらくそこから始まるのだと思います。